昭和40年01月01日 元日祭の御理解



 皆さん明けましておめでとうございます。おかげを頂きまして三十九年も、信心も出来ませんのに、無事つつがなく、過ごさせて頂くことが出来まして、四十年のこの新春を、迎えさせて頂きますということは、ありがたいことで御座います。お正月が来たから有難いのじゃございません。お正月を迎えさせて頂ける、おかげを頂いておることが、有難いので御座います。
 教祖の神様が教えて下さいます御教えの中に「日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて日日嬉しゅう楽しゅう暮らしていけば家内に不和はなし」と。私共が日々そういうような気持ちで過ごさせて頂ければ、大変結構なので御座いますけれども、なかなか朝、目がさめてから、お母さんおめでとう、お父さんおめでとう御座います、ということが言えれるようなものがないのが残念で御座います。けれどもそう言う様にありたいと願う。そこに信心があるのでございます。
 毎日おめでたい、毎日有り難いという、そうありたいと願う。そこに信心がございます。そこに信心の道、教えが御座います、ね。その教えを頂きまして、その道を行じさせてもらうところに私共が段々おかげを頂いて有難い、めでたいということになり、一日を過ごさせて頂いて今日も無事おかげを頂きまして有難う御座います。今日も目覚ましのおかげを頂きまして有難うございます。皆さんおめでとう、と言えれるような日々、ね、そういうおかげをひとつお互い目指して頂きたいとおもいます。
 唄の文句に、[芽が出りゃつまれ 葉が出りゃ刈られそれでも茶の木に花が咲く]。芽が出りゃ刈られ葉が出りゃつまれそれでも茶の木に花が咲く。今年はいよいよ椛目にとりましても容易ならない年のように思われます。私がここで、ね、それこそ取次というような事がどういうようなことやら、その真意もわからぬままに、只、お前の座っておるところが、お前のおるところが御結界ぞと。そこでお前の話を伝えてやることがお取次ぎぞ、と。そこでおかげを頂かせるのがお取次ぎぞと。
 私はそういうふうに神様から頂いた。まあ、御結界はなくても、私は寝ながらでも、言わばランニングシャツ一枚でも、ゆかたがけでも、いや休ませて頂きながらでもお取次ぎが出来る。前のおる所が御結界だ。お前がおるところが神様の世界と氏子の世界をとり結ぶ場なのだ。そこで神の言うことを氏子に伝え、氏子の願うことを神に願うてくれたらそれでおかげになるのぢゃ。たとえて言うならば病気でも、らい病とか梅毒とかというて身が腐っていくような病気でも、ね。
 お前の信心で取次ぎ助けてやれ、という御神命を頂いてから椛目が生い立ちましたのでございます。私、その当時思いました。私位の者の信心で、しかも私のようなところで人が取次ぎ助けられるということは、夢にも思わなかった事でございますけれども、なるほど、神様のお言葉どうり、おかげを頂いてまいりました。目のない者には目を下さり、足のない者には足を下さるというようなおかげでございました。
 一年後の一年祭を仕えます時には昼夜、二回にわたってお祭りを仕えなければならないと言うような盛況をていするようになりました。ね。ところが、やはり問題は限り無くございました。ようやく芽が出たかと思うと刈られる。葉が出たかと思えばつみ取られる。ところが不思議な事にです、そういうような事に直面すれば直面するほど私の心の中には、いよいよ強い、そして有難いものが、自分でも不思議な位に、躍動的に私の心の中に頂けるようになりました。
 難は霊験という御教えを頂いておりますけれども、私にとっては難は霊験どころではない、難そのものはもうないものだと言うような気持ちまで起こるようになりました。難ではない、それはもう一切が神愛の現われである。そこには難儀のない世界がございます、ね。昨日、私は、親教会の大祓式におかげを頂きまして帰りましたのが一時頃でございましたでしょうか。帰りましたら、あそこで、古賀先生が新聞を読んでおります。先生こういう新聞がございます。
 それは読売新聞か何かの古い新聞でございましたが、その宗教欄の半ページを宗教の事が書いてございます。そして仏教の悟りという事について色々説明がして御座いました。なかなかむつかしいですね、仏教的にいう悟りというのは。お釈迦様が悟られたような悟りでなからなければ本当の悟りではない、というようなことで御座いました。そんな話をしておるところへ久留米の石井喜代司さんがお参りして見えられました。
 「あら、今頃どうして参ったんですか。」「今から別府へ行きよります、集金に。」「ああそうですか、なら早うでらなゃいけませんなあ。」と言いながら、やはり落ち着いて火鉢の側へ座ってから、いろいろ信心話をなさるんです、ね。そして喜代司さんが言われることがです、こういう事を言われます。今まで私は、ね、人が例えば十円儲かるなら十五円儲からんならん、ね。思い以上におかげを頂いた時こそがおかげであって、でなかったらおかげではないように思うておりました。
 ところが先生、このごろ有難いことにです、も、日々こうしておかげ頂いておると言うことが有難いということに気付かせて頂きました。必ず余分なものがなからなければおかげではないということではなくて、ね、日々、しかも神様が不思議な働きの中に一分一厘のまちがいのないお働きを見せて下さり、必要なものが必要に応じて頂けれるということが有難いということがわかりました、と。
 いやぁ有り難いなあ、私はあんたと一番始めに、十何年前にあなたのお宅でお会いした時に、この人はそういう事がわかる人だ、と私は思うたがやっぱり私の見た目にまちがいなかったね、と私は言うて喜んだことでした。いや、先生そう言って頂けば有り難い。椛目ではそういう人がです、だんだん出来ていってるということが有り難いのです。「炊くだけは風がもてくる木の葉かな」炊くだけは風が持って来てくれる。炊くだけは、必要なだけは主人が与えて下さる。
 これは石井喜代司さんだけではない、大坪総一郎の上だけではない。氏子全部の上にそういうおかげを下さってあるのだけれども、こちらの受けものがないからあくせくとしなければならないのである、ね。それがもっともっと垢抜けしたものに大きなものに、もっと広い深い大きな意味あいのおかげが与えられるような、恵まれるようなおかげを頂くということのためにお互いが精進が必要なのです。私は椛目で体得されるならここを体得しなければだめだと思う、ね。
 皆さんがお取次ぎを頂いて願われるならです、ここんところをお取次ぎを頂いて皆さんのものにしていくようなおかげを頂かなければいけないと思う。ね。確かにこの世の中にはです、ね、神様のお働きの中にはです、私共がね、必要と思うものを必要に応じて下さる働きがあるということなのです。これからこれまでは俺がもん、これからこれだけは働いとかんなければでけん。働くことは有難い、ね。けれども、ね、そのために我情がつっぱり我欲が張り、ね、
 我が身は神徳の中に生かされてあるところの喜びもわからんでしまえていくような信心であったり、信心がなかったりではいよいよつまらんことぢゃないかと思うのです。喜代司さんの言葉に、そういう言葉をもってするならばです、日々神様の御守護の中に所謂御神徳の中に生かされて生きておるということが有難いというおかげを頂いておられるのである。言うならば、ね、お正月、元日がきたからめでたいのではない。そういうお正月を、言わば元日のような日々をです。
 そういう気持ちで毎日受けられるということが有難いのである、めでたいのである、ということです、ね。今朝の御理解に、方向をつけなければならん、進む生き方というもの、どこへ方向を持っていくかということ、ね。おかげを頂くということ、例えば、なら、こうしておかげを頂いております。おかげを頂いておるから信心が間違いないと言うのぢゃない。誰が何と言うたっておかげでりっぱな信心しよるからこそこげなおかげば頂きよっとぢゃ、と。そのおかげだけが私はその実証にはならない。
 願う氏子におかげを授けと仰る、ね。願う氏子におかげを授けて下さる神様なのですから、おかげを頂いたからまちがいのない信心をしておるということにはならないのです。願う氏子におかげを授け、そして後に理解申して聞かせとこう仰る、ね。その御理解を承らしてもらいその御理解が自分のものにならせて頂いて、そして現れてくるところのおかげであるならば、これがまちがいのないおかげなのである、ね。
 そこでお互いが一つまちがいのないおかげを頂こう、まちがいのない信心、方向を示して頂こうということになるわけなんです。私は、昨日三十一日の朝の御理解に、朝の御祈念に参って来た方達に、ま、聞いてもろうた。もう今年のおごられ納め。まあ大変ひどい御理解でした。あんただん、もうネズミよりかつまらん、ち、だから皆さんなもっとそうです。毎朝、朝参りをしておる。朝の御祈念に参って来ておる人達がネズミよりかつまらんのぢゃから、ね。
 あれは十八日のお月次祭から二十三日のお月次祭の時だった。先月だったでしょう。もうそれこそ大変にネズミが騒動するんですね。もう十年も前でございました。ネズミが、もうとにかく出没いたしますから、ネコイラズを買おうと、ネコも飼わにゃいかん、と言うわけでですね、言われるんです。私はネコもいらん、ネコイラズもいらん。なぜ神様にお取次ぎを願わんかと私は申しました。願う氏子におかげを授けると仰るのである。だから、久富先生があらたまってその事をお取次ぎを願われました。
 あくる日からネズミがガタガタいわんごとなりました。おらんごとなったわけぢゃないでしょうけれども、ネズミの言わば場というものを神様が与えて下さったんでしょうね。それから十年。もうそれはそれは最近は、又、もう、それこそ横着なことなんです。日中お三方の上にあがっています。もうとにかくここを運動場のごとして、大きなネズミが。で、古賀先生はもう、いつも一騎討ちでうちのめされてござる。一遍も捕ったこつはなか。そげん騒がしかった。
もう楽室のここなんか、障子をかじってしまっとる。もう神饌室には、今、お供えがきたから、ちょいと置いたばっかりなのに、もう二度目に入った時にはもうかじられとる、ね。私はそれをいよいよ、これはいよいよ私の信心が乱れたな、と、私の信心がまちごうておるなと悟らして頂いたのはです、その朝の、御神前に出らして頂いたらです、私の目の前に果物がお供えしてある。その果物の一番前の一番寄りつきにくいところをがっぽりネズミがやってるんです。
 私はそれをとりませんでした。皆さんに見てもらう。私の信心言わば恥さらしのようだけれども。その時にも久富先生が言われました。どうでんこうでん、先生ネズミとりを置かにゃいけません。とてもいいネズミとりがあるそうです。けれどもそれは先生待って下さい。この前はあなたのお取次ぎによってからネズミが言うことを聞くようになったけれども、もうあなたがお取次ぎを願われても、大坪総一郎の性根が治らにゃおかげは下さらんと私は思うから、私は自分の性根を治させて頂くことに焦点を置く。
 もしここにいつまでも、ネズミが現れるごとある時には、皆さんどうぞ、ハァー先生がまあだ改まってござらんばいの、ち、と言うて笑うて下さい。私は朝そういうふうに皆さんに聞いてもらいました。なぜって、私はそういう事ぐらいの働きを、出来なさらん神様ではないことを、知っておるからなんです。ね。それがおかげを受けられんのは、こちらにまちがいがあるからなのである。お取次ぎを頂いて、お願いをする。願う氏子におかげをさずけ、とおっしゃる。
 願えば願うでおかげ下さる時代もあるけれども、もうお取次ぎを願うても、頂いたところで願ったところでおかげを下さらない、とわからせて頂いたならばです、いよいよ本気で私が改まる以外にはないのだ。それから十八日から二十三日、毎日出てまいりました。もう本当にガッカリです。【 】神様におすがりいたしました。おすがりするぢゃない、もう自分自身の心の上にすがらせて頂きました、ね。
 けれども、十八日の月次祭から、二十三日の月次祭きりで御座いました。おかげでネズミがここにも出らんようになりました。神饌室にも出らんようになりました。ちょうど昨日なんかは、私の二階に、このお鏡さんがいっぱいついたのが、私の居間に並べて御座いました。神饌室がいっぱいで、お供え物が入りませんから、その前の晩はそこに、全部出して御座いました。
 お布巾をかぶせて。神饌室の中にもいっぱい、神饌物が置いてございました。それこそ、それこそネズミがね、来ようともしてないおかげを頂いております。それが居らんごつなったというわけぢゃありませんけれども、ネズミにはネズミの場というものを、天地の親神様は与えて下さったんだということ。神様はネズミを使うてから、私をわからせようとなさっておったということなのです、ね。
 も、ちょいとこのネズミばかりは横着な奴ぢゃある、昼の日中に出て来てから、と言うてからネズミとケンカしたっちゃつまらんということ、ね。それで私が申しました、ね。昨日の三十一日のおごり納め、ね。私が願えばです願えばネズミにでも透徹するような祈りがです、あんた達の上に透徹しないはずはないぢゃないか、通っていかないはずがないぢゃないか。ネズミが横着なのぢゃないネズミどころかあんた達の方が横着なんだ、だからおかげ受けられんのだ。もう言うならけんもほろろの御理解でした。
 それでも私は有難い、そういう御理解を頂き終わったら、総代さんが何人も参っておりましたが前に出て来てから、総代の私達が本当に横着で相済みません、親先生どうぞ神様にお詫びをして下さい、と言うてから高芝さんを始めそういうお届けがございました。先生がまあ、ネズミよかつまらんち言うたけんで、もう誰が参るか、ちいうごたるふうに椛目の人は言わんところが有難いですね。こう胸に手を置いてみてやっぱ横着な一年であった事をやっぱ気がついた。考えてみた。
 今年こそは今年こそはと言うておって出来なかった。十二月に入った、もう愈々最後の月。せめてこの最後の月なりとも実意をもって横着のない我ままのない信心をさせて頂こうと意欲する、願わせて頂く位いな信心がなからなければどうするか。今変わらずに今日はもう三十一日ぞ。ね。だから一年のうち三百六十四日が出来なくても後の今日一日だけでもせめて、実意をもった神様のお喜び頂けるような安心して頂けるような有り方に今日一日こそはならせて頂くぞ、という位な意欲をもたんでどうするか、ね。
 せめて、せめてそこに神様の、私はお詫びをするならばお詫びは聞き届けて頂けるものがあると私は思う、ね。ネズミよりも横着だ、ね。信心で言う横着ということはこういうことなんです。ある人が成年祭を終えられてから金光様のところに御礼に出られた。三代金光様の時です。私もおかげを頂きまして言わば大人の仲間入りをさせて頂きました。これからはどういうような心がけで世の中を渡らせて頂いたらよろしゅうございましょうか、というお伺いをされた時に金光様が仰った。
 実意になられたら結構です、と仰った。さ、ところがその実意という意味があまりにも深いものですからその青年はまた重ねてお伺いをさせて頂いた。金光様、実意とはどのような事でございましょうか、と言うてお伺いをした。わがままと横着をしなければよいでしょう、と仰った。ですから私共の心の中から、わがままと横着を取り除けば実意になる。お道の信心の生命、それは私は実意だと思う。四代金光様が去年の年頭にお書き下げくださっておりますように。
 あそこの御結界に貼ってございますのが金光様のお書き下げです。「何ごとにも実意をもって大切にさせて頂きましょう」か何かでしたかね。何事にも実意をもっておかげを頂いていこうとこう。ところが私共の場合はです、何事どこぢゃない、信心の事にですら我ままであり横着であるということ、ね。実意というのはどこえやら、お道の信心の生命であるところのそれがなくなっておる。してみるとそれは、もうその信心は命をなくしてるのであるから死んだものも同然ということになる。ね。
 今年は十五年という記念のお年柄にあたりますから、十二月の十六日は、まあ私の思い通りにいけばです、あすこに掲示がしてございますように十二月の十六日はここの十五年の記念の式典がここでおかげを頂くことになります。けれども、なかなかむつかしい雲行きの中に現在椛目がございますから、どのようになるかわかりません。この頃から長男を教会長としてここに、教会認可をして下さるということが決まった。もう皆が大変喜んだ、ね。御礼に出させて頂いた。
 教務所にも親教会にも。ところがまた一つの問題にひっかかった。それはこの教会が椛目であってはならないということである。仮の布教でもここで出来れば、仮にでも教会の認可が頂けるものだとばかり思うとったところがです、新たな土地を求め、新たな教会が建たなければ教会認可はしないという事になった。再三幹部の方達が親教会にも願いに行かれ、教務所にもそのことの願いに行かれましたけれども、それは出来なかった。してみるとこれは大変な事である。
 これはとても、一時二時のことではなかろうごとあろうと思う。それは、ただ一軒の百姓家でもいい、借りてからそこで許可を受ければよいということでございますけれども、さあそこになら移ったところで、これだけの人がです、例えば入る会堂がなからなければできないでしょう、ね。大祭ともなればやっぱり五百人位は入らなければならない。皆さんの計画しておられるのは千人位入る会堂を、と言うておられます、ね。ちょっとマッチ箱で作るようなわけにはまいりませんのですね。
 そこで、ま、いわば現在行きづまっておるわけで御座います、ね。神様の働きがどういうふうにあるやらわかりません、ね。そこで私は、今朝から皆さんにも申しますように、ね、ハッキリ間違いのない方向づけというものを神様にして頂いて、その方向へ向かって進ませて頂こう。例えてこの十四年間がです、私共のおかげを頂くための信心であったならばです、ね、神様の願いがかなえられる、ね、神様の願いが地上になる、椛目になる。神様の願いが椛目の上に現れてくるということのために。
 お互いが信心の焦点を置かせて頂いたら、これは絶対まちがいのない方向であろうということ。神様の願いが成就することのために私共が、それに向かって精進する。その精進しておる姿に神様が私共の身の上にも家の上にもおかげを下さるというおかげであるならば、これは、もうまちがいのないおかげなのだという事です、ね。皆さんが願っておられる信心がです、ね、今日も宮ノ陣から、ある方が朝、参ってまいりましてから、どうぞ今年こそは親に喜んでもらえる親孝行の信心をさせて下さい。
 と願われたから私は申しました。松本さんという方です松本さんそれなんです。あなたの今年の信心の方向はそこなんだ。もうこれならば絶対間違いない本気で親に喜んでもらおう、親に安心してもらおうという信心。そこに焦点を置いて信心をなさったならば、そしてあなたがおかげを受けていったならば、それが本当のおかげだと私は申しました。椛目を中心にしなくてもです例えば皆さんがこれならば間違いのない。
 ですからこの方向づけというのはです、銘々がその気にならなければその人その人に与えられないのです。ここんところを目指せと皆に言うたところで、そこまで気持ちのいってない人に言うたところで同じです、ね。ですから銘々がですその気にならせて頂けば銘々に対して、その方向を示して下さるだろうと私は思う。まちがいのない方向をね。ただおかげを頂いておるというだけでよいというのではないということ。
 今年は、そういう例えば記念の年柄にあたってです、そういう信心に私はもう切り換えられる。椛目も、言わば十五年であるならば、昔で言うならば元服ということですかね。子供から大人にならせて頂くという式をしなければならない時なのです。その大人にならせて頂いた椛目全体がです、そういう間違いのない方向に向かって、足並みをそろえて打って一丸となって一つの願いのもとに信心を進めさせて頂いたならばです。
 それこそ夢にも思わないような比礼が椛目を中心にして現れてくるであろうと私は確信いたしております、ね。問題はそこにです、その焦点はちがいましてもです、只今申しましたように、ね、今年はどうでも親に安心してもらいたい喜んでもらいたいというようなところ、まちがいのない方向へ向かって進む。それをもっとむづかしゅう言うならば神様の悲願に応えさせてもらおう、ね。
 神様の私にかけられておるところの悲願、神様が私にかけられてござるところの願いに向かって私共が信心の稽古をさせて頂こう、ね。そこに神様の願いがここになる、地上になってくる。また皆さんの身の上に家の上に現れてくる言うようなおかげを頂かなければです、私、本当のおかげであるということは言えないと思うです、ね。皆さんが、ま、そういうような一つ、まちがいのない所へ方向を示して頂いて、まちがいのない方向へ向かって進んで行こうと言うてもです、その進み方なんです、次は、ね。
 ただ元旦にあげん思うてから一年間、ただただ続けた、というだけではいけないのです、ね。その内容が先程申しますような横着をぬきにした、ね、横着をぬきにしたところの実意な信心にならせて頂く事を願わせて頂いて、おかげを頂いていく、ということなんですね。皆さんに私は、今日は一つここんところを皆さんに伝授しようと思う。ためには辛抱がいるということである。
 信心辛抱ということはです、いつも言うておりますけれども、信心辛抱とは内容において実際はどういうようなことかと、ね。毎日参ってくる方なんです。息子さんが言うことをききません。今までは言いよったけれども、言うても言うても言う事を聞かん、ね。もう、先生に言うな、と言われるけれども言わにゃおられん。さあそこがしんぼうですたいち私が。それから本当にもう、血の涙の出るごたる思いで金光様金光様で、その言わんでしんぼうした、ねえ。
 ところがです、ところがです、今度は親が言わんごつなったらいよいよ増長してから尚言うこと聞かんごつなった、ね。私はそれを、お取次ぎさせて頂いてから思うた。ハハァー、いつか御理解に頂いたが、ね、陽の神様と風の神様が、ある旅人の外套を脱ぐ競争をなさった。風が物凄い風をその人に送った。その旅人は外套をいよいよ固くしていった。とうとうその外套は脱がなかった。それからお天とう様が今度はやわらかい柔らかい光をその旅人に送られた。
 今まで吹いとった風がやんで暖かい風が吹いてきたら、その人が外套を脱ぎ出した。お天とう様の勝ちなんです。ですからこの生き方でいくより以外にない、と私は教えたのだけれども、ところがそういうあり方にならせて頂いたら、その息子さんがいよいよ言うこときかんごとなったとこう言う。してみると風の神様にでもなって場合にはです、叩いてでもね、こらしめてからでも言うこと聞かせにゃ、そげなふうにお取次をし直そうかと私がちょいと思うた。
 ところがですね、ところがです、それからが信心辛抱なんです。それまでは辛抱ぢゃないとです。ね。それまではただの辛抱。それこそ金光様金光様と言うて辛抱するけんそれはただの辛抱です、ね。信心辛抱と言うのはそれからが辛抱なんです。辛抱させて頂いておった。ね。ところがです、親先生が言うな言うなと仰るから言わんでおったら益々身にあまるようなふうに変わっていったと。
 これは一つせっかんでもして、わからせにゃいかんぢゃろかと言うようなお届けがあった時に私も、ハァーこれは場合によっちゃ、時と場合によることだと。お天とう様の生き方ばっかりぢゃいかん。時にはやはり風のような激しさをもって教える方がよいのかも知れんなあ、と私は思うた。けれどもその次に私は思うたのは、はあ、これから先が信心辛抱だということです、ね。これから先が信心辛抱と頂かれたら、それから信心辛抱が本当になさろうという腹に決まった。
 もう金光様金光様と言うてのみこまんでもです、自分の心の中に有難いおかげが頂かれるようになられた。ね。ところがですもう初めて、今度年末に賞与も全部もってくるし、これはお父さんとお母さんにち言うてから御歳暮の品物を買うて帰って来られたと。そりゃいろんな子供の上にも問題があってですしていよいよわからして下さった。言わば自然が神様がわからして下さった、ね。そうしてですその子供さんがです、本気で親孝行させて頂きたいと言うような願いを持つようになって来たということです。
 ですから私は この辺が一番大事です。辛抱はここまではするけれども、もう辛抱がでけんというその先が信心辛抱。だからここんところの信心辛抱をさせて頂こうということになるとです、もうこれから先は楽しうなってくるです、ね。それを一遍体験を頂かせてもらうとです、もうこれが辛抱が出来ないと言う時、そこを辛抱しぬかせて頂きよるとです、本当のおがげが現れてくるようになる。
 ですからどういう辛抱できないような場合でもです、そういうおかげが頂けれることが段々わかってくるから、体験が積んでくるから、ね、その辛抱が楽しうなってくるです。有難うございます有難うございますと言うてその辛抱が出来る、ね。そこへ私は辛抱の徳というのが段々養われてくる。ここのところをです、皆さんがね、金光様金光様というて辛抱する、それから先を辛抱せん。ここんところを皆さんも体験をされますとです、どのように辛抱の出来ない事でも辛抱が出来るようになります。
 いや辛抱が出来る。有難う辛抱が出来るようになります、ね。たとえつまれましても刈られましてもです、それでもやはり茶の木に花が咲く、ということがわかると、つまれる事もまた有難い、ね。刈られる事もまた有難いんだということがわかるのです。椛目の十五年をふり返ってみてです、つまれても刈られても確かにその度に私の信心も一段進ませてもらうだけでなくて、おかげの上にもそれが表れてきておるという事実をです、皆さんが見て下さってです、ね。
 ここんところのおかげを頂いていかなければ。今年はそういうようなです、お年柄にあたってそういう内容の辛抱。私はこの二、三日家内に言うております。今年は、あの人は巳の年ですから丁度あたり年になるんです。ですからこれはもう、去年の言葉で、も、来年ちいう来年は一つどうでんこうでんお前に神習わして頂く。あの人が信心が出来ているとは思いません。けども辛抱ということにおいてはもう本当に、私は本当に見た事も聞いた事もない程に辛抱いたします。やっぱり巳の年ですから執念深か。
 そんなふうに思うです。そりゃあ本当、私はたまがるです、これには、ね。ですからです、あれが信心でなされる時にです、あれが楽しう有難うならせて頂けるにちがいはないと思うのです、ね。そういう、私共は辛抱がです、椛目の信心には神ながら主義の方が上回ってです、こう欠けておるような気がいたします、ね。今年という今年はですね、神様がね、もうあらゆる角度から、あらゆる角度から何かを生みなそう〔となさるお年柄なのです〕。・・・・・・・
    音声不良